【美の壺】スペシャル 城 で紹介された場所はどこ?/草刈正雄 木村多江

美の壺

NHK「美の壺(びのつぼ)」は普段使いの器から家具、着物、料理、建築に至るまで、衣食住、人の暮らしを彩ってきた美のアイテムを解説してくれる番組。紹介されたものは何?場所はどこ?出演は誰?どこで買える?と興味津々。
そんな気になる「美の壺・美術の鑑賞マニュアル」を詳しく調べてみました。最後に番組内の音楽もまとめてあります。
美の壺「スペシャル 城」
出演は俳優の 草刈正雄(くさかり まさお)さん、俳優の 相島一之(あいじま かずゆき)さん、ナレーション(語り)は俳優の 木村多江(きむら たえ)さんです。
最新エピソード 美の壺 File 613「干菓子」 もどうぞ併せてご覧下さい。

放送時間

BSプレミアム(2023年11月30日まで。2023年12月1日から NHK BS(BS101チャンネル) へ移動)
初回放送:2023年11月11日19:30~21:00
再放送 :
BS4K(2023年12月1日から BSプレミアム4K へ名称変更)
初回放送:2023年11月11日19:30~21:00
BSプレミアム4K
再放送 :2024年6月30日(日)15:00~

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美の壺 スペシャル 国宝 はこちらをどうぞ!

【美の壺】スペシャル 国宝 で紹介された場所はどこ?/草刈正雄 木村多江
NHK 美の壺「スペシャル 国宝」(2024年4月6日放送)。出演は草刈正雄さん、平泉成さん、語りは木村多江さん。志野茶碗 卯花墻と志野焼の再興、三嶋大社に伝わる群鳥文兵庫鎖太刀、東京国立博物館の最新技術の国宝展示、松江城天守を国宝昇格するための調査研究、高尾曼荼羅の修理と材料、木造文化財のために育てるヒノキを紹介。

美の壺 2024年度(2024年4月〜2025年3月)バックナンバー はこちらをどうぞ!

【美の壺】2024年度バックナンバー 放送日時と出演者まとめ /草刈正雄 木村多江
NHK「美の壺」2024年度(2024年4月-2025年4月)の番組バックナンバーと放送日時まとめ。出演は草刈正雄さん、語りは木村多江さん。ゲスト出演者、紹介されたお店などをリストにしています。随時更新中。

美の壺 スペシャル 城 内容

番組予告

▽世界遺産30周年の姫路城。直木賞作家・今村翔吾がその魅力を全力で語る
▽城の姿を精巧に再現する城郭模型作家が「白眉」とたたえる松本城のベストスポット
▽穴太衆(あのうしゅう)が、極秘に受け継いできた「石垣」の技
▽“天空の城”竹田城。細部に宿る“神業”とは?▽彦根城の庭園にみる、壮大でドラマチックな仕掛け
▽二条城と名古屋城は、極上「障壁画」
▽木村多江は、金沢城のなまこ壁に挑戦
▽草刈正雄の“家臣”登場!?

プロローグ

美の壺 一、白と黒:時代を映す美の宝庫

ひとつめのツボは 白と黒:時代を映す美の宝庫

今村翔吾さん / 作家 / 世界遺産・国宝・姫路城【兵庫県 姫路市】

塞王の楯 今村 翔吾
塞王の楯 / 今村翔吾

作家の 今村翔吾(いまむら しょうご)さん。
歴史小説・時代小説を得意とし、2022年に第166回直木賞も受賞。
受賞作「塞王の楯(さいおうのたて)」は戦国時代の大津城(おおつじょう)を舞台に石垣職人と鉄砲職人の対決を描いています。

今村さんの記憶に記憶にある限り最初に行ったお城が 姫路城(ひめじじょう)。原点となったお城です。
5-6歳でしたが、姫路城以外を見も「ちょっとちっちゃいな」と子供ながらに思っていたそうです。
子供の頃からお気に入りの姫路城の鑑賞ポイントを教えていただきました。

今村翔吾さんの著書。

塞王の楯 / 今村翔吾
集英社
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じんかん / 今村翔吾
講談社
¥1,144(2024/09/06 20:02時点)

今村翔吾さん / 世界遺産・国宝・姫路城【兵庫県 姫路市】

姫路城 図説 日本の城と城下町2 工藤茂博
図説 姫路城

兵庫県姫路市 の中心に立つ国宝・姫路城(ひめじじょう)は江戸時代初めの築城当時の姿を今に残しています。
1993年には日本で最初の世界文化遺産に登録。2023年に30周年を迎えました。
作家の 今村翔吾(いまむら しょうご)さんがお気に入りの姫路城の鑑賞ポイントを案内してくれました。

三の丸広場

大手門(おおてもん)をくぐり、三の丸広場(さんのまるひろば)へ。
ここから見る天守が最初の顔。大きさといい、均整の取れたバランスの良さといい総合的な美しさが改めて「姫路城すごいよな」と感じさせられます。

1609年、池田輝政(いけだ てるまさ)によって築城された姫路城。
標高45.6mの 姫山(ひめやま)に建つ 平山城(ひらやまじろ)で 大天守(だいてんしゅ)と3つの 小天守(こてんしゅ)があります。
大天守は高さ31.5m。外観は5重、内部は地上6階地下1階の構造です。

菱の門(ひしのもん)

三の丸広場を抜け、いざ次なる鑑賞ポイントへ。上り坂で攻める兵の気持ちを感じながら進みます。
二の丸の入り口を固める 菱の門(ひしのもん)。城内で最も大きな門です。
名前の由来は木製の 花菱(はなびし)。柱や扉にケヤキを用いた勇壮な造りで華麗な城門です。

迫力のある大きな城ですが、戦国の世の後の太平を目指した江戸時代の城だから、実戦的だけでなく見た目の美しさにもこだわっている、と今村さん。
大きな菱の門は城の入り口・玄関として立派で美しく、城主の気分で門をくぐります。

扇の勾配(おうぎのこうばい)の石垣

2つ目の いの門(いのもん)をくぐり、大天守への順路とは違う右への道へ。
今村さんが見せたかった 扇の勾配(おうぎのこうばい)の 石垣(いしがき)です。石垣の勾配が扇を開いたときのような曲線を描くことからその呼び名がつけられました。
400年の歴史で戦災に見舞われずに済んだ城だからこそ、状態よく残った曲線美。
隅(すみ)をいかに美しく作るかが石垣作りの1番のポイント。この曲線美を出すように積み上げるには相当な技術が必要です。

石垣は今村さんが小説に書いている世界観でもあるため特に下調べをしたといいます。
石垣に使われている石はこの近くで切り出した石もあると考えられますが、どこかの城からの転用品もかなり多いのではないかと今村さん。証明はできないけれども、当時の城の石垣はそうやって作られていたようです。
となると姫路城の前にどこかの城を支えていた石だったという可能性もあるわけで、石1個1個に歴史がこもっている。
歴史を重ねて現代まで残っている。それだけで1つの美しさ。今村さんにとっては、それが1つの美だと感じられるのだといいます。

るの門(るのもん)前の石段

やっと天守に行くかと思いきや、さらに細い道へと進みます。
るの門(るのもん)への 石段(いしだん)を下りて行きます。
るの門は石だけで作ることで、分かりにくく少人数で守れるように考えられた門。

石段もわざと階段の高さがまちまちだったり、少し傾いていたりして上り下りがしにくいように作られています。
重い甲冑を着た兵にとって不規則な高低差は攻め上る勢いの妨げになります。

大天守(だいてんしゅ)

姫路城を歩く 中川 秀昭
姫路城を歩く

そして本丸 大天守(だいてんしゅ)へ。
近づいてくると、屋根のデザインの凝りようにも感心させられます。
姫路城は白い外観だけでなく、屋根の造形も見どころ。唐破風(からはふ)と 千鳥破風(ちどりはふ)の組み合わせで構成する大天守の屋根は独特のデザインセンス。
鳥が羽を広げたかのようにずっと伸びる様は、白鷺城(しらさぎじょう)の愛称にふさわしい佇まいです。

ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)

最後に訪ねたのは、大天守の北側。
東小天守(ひがしこてんしゅ)と 乾小天守(いぬいこてんしゅ)を結ぶ ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)。
広くて長い廊下の床材の違いに注目。張り替えられた両脇のツルツルした床材と違い、真ん中の部分は築城当時のゴツゴツ仕上げが残っています。
手斧(ちょうな)の跡が残る鱗のような板の表面。当時の殿様が歩いた可能性があると歴史に思いを馳せる今村さん。城を歩く足の感触を通して、400年前の姫路城主と心を通わせます。
足からちゃんと歴史に触れているという感覚。人が作って人が歩いた場所なんだなぁと思えることが城を見に来る楽しさだと語っていました。

名前姫路城(ひめじじょう)
住所兵庫県姫路市本町68番地
電話079-285-1146
WEBhttps://www.himejicastle.jp/
営業時間9/1-5/31:9:00〜17:00(入城は16時まで)
6/1-8/31:9:00〜18:00(入城は17時まで)
定休日12/29・12/30
姫路城
創元社
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姫路城まるごとガイドブック
集広舎
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島充さん / 城郭模型作家 / 国宝・松本城【長野県 松本市】

島充の城郭模型紀行 島 充
島充の城郭模型紀行

城郭模型作家の 島充(しま みつる)さん。
城の魅力をより多くの人に身近に体感してほしい日本各地の城を緻密に再現。その数は40以上に上ります。
島さんの模型は空襲で消失する以前の天守など、今は亡き城の姿も蘇らせています。
これらは古い写真などから起こした設計図をもとに制作されたもの。
島さんの城郭模型は学術的にも高い評価を受けています。

そんな島さんが城に惹かれたのは小学生の時。長野県に旅行した際に訪れた 松本城(まつもとじょう)がきっかけでした。
どうして自分が一目で城にはまり込んでしまったかはやっぱわからないが、多分それが城の美なんじゃないか、と島さん。
何にもわからない子供でも「わーかっこいい」とか「なんだ、これ?」みたいに思わせるのが城の魅力。

島充(しま みつる)さんの著書。

島充の城郭模型紀行
大日本絵画
¥4,180(2024/09/07 02:05時点)

島充さん / 国宝・松本城【長野県 松本市】

松本城 図説 日本の城と城下町⑩ 松本市教育委員会文化財課城郭整備担当
図説 松本城

子供だった 島充(しま みつる)さんを虜にした 松本城(まつもとじょう)。
松本城は戦災を逃れ、地上当時の姿を残していることから、国宝に指定されました。黒い板壁が特徴です。

松本城は松本盆地の平地に立つ 平城(ひらじろ)です。天主(てんしゅ)は5重で6階。29.4mの高さを誇ります。
1590年この地に入った 石川数正(いしかわ かずまさ)とその子・石川康長(いしかわ やすなが)が基礎を固めました。

内堀に映る天守

太鼓門(たいこもん)から入り、内堀(うちぼり)越しに天守を見上げながら公園を歩きます。
天守に近づいてくると、櫓が重なっているから、全体がまだ見えない。
全体を見ようと思うと、こちらが歩いて行かないといけない。動いていくとどんどん姿が変わっていきます。
内堀越しに天守を構成しているすべての建物が初めて目に入る位置が島さんのベストスポット。
ここで城の全体像が初めて見えるのです。

松本城の天守は日本に5つある国宝の天守の中で唯一水堀(みずぼり)から直接立ち上がっている天守。
したがって水面に映った 水鏡の天守 というのも見所。
堀の幅は軍事的に鉄砲が届く幅を考慮し設計されたと言われています。
美を狙ったものではありませんでしたが、はからずしもその堀が天守を映す鏡のようになり、結果として平等院鳳凰堂や金閣寺に並ぶ水面に映る建築として白眉の景観を作り出しているのです。

天守の白い軒裏

本丸に入り、次の推しポイントへ。
天守に近づいてくると全く違う表情が現れてきます。
天守を見上げたときに白壁の軒裏の漆喰も見えてくるので、白と黒の比率が変化してきます。
黒い城だと思っていた松本城は真下に来ると、白い城。見る場所によってがらりと印象が変わります。
白い軒裏が青空に生えて、遠景とは違った美しさを見せます。

大天守3階(隠し階)

いよいよ天守の中へ。
大天守3階 は外からはわからない 隠し階(暗闇重)。普段は倉庫として使われ、戦の時には武士が集まる秘密の場所でした。
1カ所の窓からしか光が入らない暗い階です。
天守の重みを受け止める柱がたくさん。柱の表面に見えている貝殻状の模様は 手斧(ちょうな)でこの柱を削ったときの跡。はつり紋(はつりもん)と呼ばれます。
窓の近くの柱にはつり紋が際立って浮き立っているを見ると、島さんには大工が削ったときの音が聞こえてくるといいます。
この天守を建てたときの音がここに刻まれているんだな、と考えるそうです。

大天守6階(最上階)

大天守6階(最上階)にやってきました。
ところがちょっと微妙な表情の島さん。天守に登ってくると早く出たくなることがあるといいます。
それは外観からは忘れていた天守という建物本来の機能を思い出してしまうから。

この天守は普段は人が入らない建物。
ここに人が詰めるという状況は、もうまさに最後の最後。
本当に「落城」という二文字を背負った状態、そういう状態でここに詰める。
城主がここで切腹するというような命をかけた場所、切迫した厳しい建物ということを思い出し、ここから逃げ出したくなる、と語ります。
当時の人々に思いを馳せて。黒く堅固な城は400年を経てなお、戦いの気配を今に伝えます。

名前松本城(まつもとじょう)
住所長野県松本市丸の内4-1
電話0263-32-2902
WEBhttps://www.matsumoto-castle.jp/
営業時間通常:8:30〜17:00(入城は16:30まで)
ゴールデンウィーク・夏季:8:30〜18:00(入城は17:30まで)
定休日12/29-12/31
天守入場料大人:700円、小中学生:300円
松本城
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¥1,650(2024/09/06 20:02時点)
松本城のすべて 世界遺産登録を目指して
信濃毎日新聞社
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美の壺 二、石垣:石の声をきく

ふたつめのツボは 石垣:石の声をきく

粟田純徳さん / 穴太衆 15代頭 / 国宝・彦根城【滋賀県 彦根市】

滋賀県彦根市 彦根城(ひこねじょう)
穴太衆(あのうしゅう)15代頭 粟田純德(あわた すみのり)さん
琵琶湖の東岸、滋賀県彦根市にある。国宝・彦根城(ひこねじょう)。
1604年から18年かけて築き上げた城です。
こうした城は近世城郭(きんせいじょうかく)と呼ばれます。
城を立派に見せるため、それまではなかった石垣を作ったのが特徴です。
そして石垣と言えばある集団の存在なくして語ることはできません。

「築城図屏風(ちくじょうずびょうぶ)」名古屋市博物館所蔵
桃山時代に描かれた「築城図屏風(ちくじょうずびょうぶ)」。
石垣を積む人々。穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団(いしくしゅうだん)です
穴太衆の技術を今に受け継いでいる人がいます。
穴太衆(あのうしゅう)15代目粟田純徳(あわた すみのり)さん
滋賀県大津市を拠点に全国で活動を続けています。
粟田さん達、穴太衆(あのうしゅう)が得意とした石垣の積み方があります。
自然石を加工せず、そのまま積み上げていく野面積み(のづらづみ)という手法です
粟田さんはこの積み方を祖父。粟田万喜三(あわた まきぞう)さんから教わりました。

粟田「うちとこは昔から口伝(くでん)。口だけで言い伝えられている。
城の縄張りというのがほとんど極秘事項だったので、それを積んだ石の職人が書き物を残したりとか、そういうのはダメやったので、
技術も含めて全て口で言い伝えられています。

粟田さんは彦根城には野面積み(のづらづみ)の特徴がよくわかる場所があるといいます。
両端に櫓(やぐら)を持ち左右対称になっていることから名前のついた天秤櫓(てんびんやぐら)
その建物を支える石垣です。
天秤櫓に続く橋の下は雨風にあまりさらされていないため、築城当時の石積みがよくわかります。

粟田「基本的な石の組み方として石と石の間に石を入れる。
漢字の品川の「品」っていう字になるように組んでいく。
必ず1つだけに荷重がかかるような積み方はしない。
石の奥の部分で上と下の石がかんでいるので、地震が来ても少々動いても大丈夫っていうことになります。
こういう細かい石がたくさん入ってますけど細かい石にほとんど荷重がかかっていない。これを抜いても全然
細かい石が全部抜けても石垣自体は崩れないようになっています。

石と石の間に隙間が多い野面積み。
雨が降ってもそこから排水されるので、水はけが良く崩れにくい構造です。
このように自然石をうまく積むには、穴太衆ならではの極意があるのだとか、

粟田「基本的に昔から「石の声をきけ」という言葉があります
石の声をきいて行きたいところにいかせてやれ。
それのバランスですね。自然石なので、同じ石がない。
それを考えて組み合わせていってという感じになります。

彦根城の入り口、表門(おもてもん)近く
粟田さんが修行時代、祖父・万喜三さんについて修復した石垣があります。

粟田「自然の石をそのまま使うこと自体が美しいっていうか、
他の国にはない積み方になってきますんで、
日本独特の技法っていうか、そういうのに美しさを感じますし、
それを見た方々が美しいとか綺麗とかすごいと言っていただければ、やりがいというか嬉しい気持ちはありますね。
だから続けていけるっていうか。

名前
住所
電話
WEB
営業時間
定休日

来村多加史さん / 阪南大学教授 / 竹田城【兵庫県 朝来市】

兵庫県朝来市 竹田城(たけだじょう)
阪南大学(はんなんだいがく)教授 来村多加史(きたむら たかし)さん
城は様々な場所に建てられました。
兵庫県朝来市(あさごし)、標高353.7mの山にこつ然と城跡が現れます。
竹田城(たけだじょう)です。

城の始まりは室町時代中頃
関ヶ原の戦いの後、廃城となり、現在は石垣が残るのみです。

そんな城跡に魅せられた人がいます。
来村多加史(きたむら たかし)さん
考古学・軍事史が専門で様々な戦いを文献と実地調査の両方から読み解いてきました。
秀吉によって責められ戦いの舞台にもなった竹田城
間近に迫る石垣は、かつてここへ攻め寄せた兵が見た光景そのままです。
城内に入ってすぐ来村さんお勧めのポイントが見えてきました。

来村「大手門(おおてもん)ですね。
いやいつ来ても素晴らしい構えですね。
この門を挟んで両側に石垣があると
攻める方からすれば横矢をかけられるといいますか。
そういう危機感を感じさせるところ、
なかなか接近できない。
「来るもんなら来い」みたいなそういう城構え

さらにその先にも軍事的な工夫が続きます。

来村「大手門を入って次なる門へ向かう道。何回も折れながら城に向かう。
守る方からすると敵の横手を狙えるような構造になっている。
ここなんですけどね。素晴らしい石垣ですね。
こちら隅ですね。角が出てますね。
これをずっとたどっていけば、角の直線が1本で合わさっているのがお分かりになりますか?
すごいでしょ。この技術ですね。
これほどの不成形の石を積み上げて、このエッジを1本にぴっと通すのは本当に神業としか言えない技術の美ですね。

実践的な石垣にも美しさが垣間見えると来村さん

来村「隙間が多いというのは、防衛上ではあまりよろしくない、足がかり手がかりができてしまいますので
ただし見た目からすると隙間が多いので陰影ができる。
影ができるので、石垣の立体感がより引き立つんじゃないか。
人間で言えば肉体美、筋肉が織りなす美しさ、れによく似たものがあります。
石垣の凸凹感が城のたくましさ力強さを見せるんじゃないかなということです。

他にも竹田城ならではの石垣の特徴がわかる場所があります。

来村「ここまで来ると山の地形に合わせた石垣というのがよくわかります。
山の地形は全体的に内側にわずかにくぼむ、そういう地形ですね。
それに合わせて石垣を並べているので石垣が直角というより鈍角になる。
鈍角な面を「しのぎ」と言うんですけどね。
それにあやかって石垣の鈍角な面を「しのぎ積み」という名前をつけられてますね。
非常に美しいラインを作っている。

南北400m、東西100mにわたって広がる城の中心にある天守台
そこに上ると竹田城跡の石垣全てを一望できます。

来村「いいですね。いつ来ても惚れ惚れしますね。

竹田城は虎が伏せたような姿に見えることから、別名・虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれます。
形も高さもまちまちの石垣
全体で見ると、見事な一体感を見出しています。

来村「築城当初は石垣のそれぞれの上に建物が立っていたわけですけどね。
今はそれが全て壊れてしまって、マチュピチュのような廃墟となってしまっている。
逆に言えばその廃墟な感じがすごくいい。
廃墟だからこそ出てくる美しさと言うのもいいんじゃないでしょうかね。

昼の光に照らされた姿が美しい竹田城跡。
実はもう一つ極上の眺めが見られる時間があります。

早朝5時、山の間に霧が溜まり、雲海のようになりました。
そこに浮かぶ竹田城跡。
在りし日を思わせる天空の城です。

名前
住所
電話
WEB
営業時間
定休日

美の壺 木村多江の「城の美を訪ねて」

美の壺スペシャル恒例 木村多江 さんのお出かけ。石川県金沢市 で「城の美」を訪ねます。

冨田和気夫さん / 石川県金沢城調査事務所 / 金沢城【石川県 金沢市】

石川県金沢市 金沢城(かなざわじょう)
木村多江さん
石川県金沢城調査事務所 所長 冨田和気夫(とみた わきお)さん
9月の初め、城の美を訪ねて石川県金沢市にやってきました。

多江「は〜い、きました。
市街の中心に金沢城があります。
1583年前田利家(まえだ としいえ)がこの地に入って、本格的な城造りを開始、
江戸時代には加賀藩 前田家14代の居城として利用されました。
平成に入って多くの建物の復元・整備が進みました。

玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)
多江「わー、きれいですね。素敵な庭園だ。

鼠多門(ねずみたもん)を入ってすぐにある玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)
藩主のプライベート庭園です。

多江「石垣がある庭園てなかなか見ないので、
なんかちょっと強さもあって、
石垣がなんかとっても美しいですね。

冨田「こんにちは。石川県の金沢城調査研究所の冨田といいます
多江「石垣がある庭園初めて見ました。
冨田「珍しいですよね。この玉泉院丸庭園の景色の中で1番中心なのがここなんですよ。
色紙短冊積石垣(しきしたんざくづみいしがき)って名前がついているんです。
色紙っていうのはサイン色紙みたいな正方形
短冊は七夕の短冊みたいにちょっと長方形。

上に建物があったわけではなく、この石垣そのものがオブジェのよう
太平の世になり、軍事ではなく、美的な見え方を追求した石垣。
金沢城にしかない特別なものです。

次に金沢城のもう一つの見所に向かいます。
あの壁壁た個性的な
海鼠壁(なまこかべ)という壁の意匠
金沢城のシンボルの1つ五十間長屋(ごじゅっけんながや)
その名の通り五十間、90m余りの長さを持つ建物で平成13年に復元されました。
海鼠壁(なまこかべ)は雪の多い北陸ならではの工夫です。
雪が長時間漆喰の壁に付くと、水分がしみ込み浮いてきます。
そこで平瓦(ひらがわら)を均等に貼り、その間の目地を海鼠(なまこ)のように漆喰で盛り上げて補強しているのです。

冨田「すごい手間のかかる高級な外壁仕様なんですよ。
高級仕様の建物を城の中に作る。その主人がいかに財力があり、権力があるかということをここに来た家臣たちがまざまざ体感することになる。
そういう効果がかなり意識されている。

そこにまた美もも伴っているという。
これほど整った海鼠壁(なまこかべ)はどうやって作られるのでしょうか?

名前
住所
電話
WEB
営業時間
定休日

大道浩さん / 株式会社イルスギ 常務取締役 / 海鼠壁体験【石川県 金沢市】

株式会社イルスギ 常務取締役 大道浩(おおみち ひろし)さん
海鼠壁体験
五十間長屋(ごじゅっけんながや)の復元でも海鼠壁(なまこかべ)の仕上げを担当した職人のもとに行きました。

多江「実際にあんなに丁寧におんなじ間隔でつけて塗ってすごい作業だなと思って。
大道「そうなんですよ。あれ全部コテで塗ったんで、なかなか技術もいるような仕事です。
多江「すごいですよね。すごい数ですよね。
大道「根気のいる仕事です。
多江「それだけでちょっと、それを手作業でやるなんて、とても私には気が遠くなりそうです。
大道「せっかく来てくれたんで、少し体験もしてほしいかなという思いもあります。よかったら
多江「ぜひしたいです。その気持ちを知りたいです。

ということで、早速作業場へ

大道「木村さんにこの1本とこの1本塗ってもらいたいなと思います。
多江「ものすごい重責ですけど、大丈夫なんでしょうか
大道「はみ出したらダメなんですよ。
多江「ですよね。

海鼠壁は、まず瓦と瓦の間の目地の部分を粗い漆喰(しっくい)で盛り上げます。
さらにその上にきめの細かい漆喰を上塗りして仕上げます。
漆喰の材料は消石灰(しょうせっかい)、貝を焼いた貝灰(かいばい)、繋ぎとなる食物繊維・スサ。
そして糊の役目をする海藻・角又(つのまた)です。
これらを水と混ぜて練り合わせることで、漆喰(しっくい)が出来上がります。

大道「羽子板(はごいた)という物でやりますんで、持つとこからやってみましょう。
ここで握って、この辺に親指を置いといてくればこうやってやるんで。

まずは基本中の基本、コテ返し

大道「これでも多いかもわからんね。このぐらいにしときますわ。いいですか?こうやってこうやればそうじゃなくて、平の方。
多江「難しいですね。
大道「できるだけ均等になるように、そのほうが付けたときに仕事がしやすいです。

コテの端から出ている繊維・スサができるだけ均等になっていないとダメなんです。
多江「同じ厚さに塗るっていうことがやっぱり職人技なんですね。

(漆喰を真ん中から左右に塗る)
さらに漆喰を塗り続けること、1時間。
何とかなめらかになってきました。
コテを変えて仕上げていきます。

多江「ここがちょっと盛り上がってるとか触ってるとわかってきますね。
大道「2時間前までコテ返しもできなかったんやからね。すごいことやよ。

2時間後やっと1本できました。
大道さんのほうもどれだけ寄っても滑らかな仕上がり、
一方私は表面にコテの跡が残っていたり、凸凹があったり。まだまだですね。
本当に最初はやってるとぐちゃってになったり、さらさらやってると何も言うことを聞いてくれなかったりするのが、自然と手にそれが伝わってきて、
頭で考えているわけじゃなくて、体が対話していくとこっちの漆喰の方が言うことを聞いてくれるようになるみたいな感覚になって
対話していくこと、すごく大事なんだなと思って。
自分と向き合っていくすごく大切な時間になりましたね。

名前
住所
電話
WEB
営業時間
定休日

吉竹泰雄さん / 金沢城 成巽閣(せいそんかく)館長【石川県 金沢市】

成巽閣(せいそんかく)
館長 吉竹泰雄(よしたけ やすお)さん
金沢の城の美を訪ねる旅
続いてやってきたのは、金沢城の中で、藩主やその家族が住まう御殿の1つ成巽閣(せいそんかく)です。
1863年加賀藩第13代藩主・前田斉泰(まえだ なりやす)が母・真龍院(しんりゅういん)の隠居所として造営した建物です。

ここを訪れるのは2年ぶり。館長の吉竹泰雄(よしたけ やすお)さんの案内で中をたっぷり見せてもらいます。
謁見の間(えっけんのま)

吉竹「要は公式のご対面する場所なんですけれども。デザインがいろんな箇所にあり、かわいいデザインが溢れている。
多江「この欄間、カラフルですよね。
吉竹「これはよく見ていただくと梅がいっぱい咲いている。
梅は前田家の象徴なので、前田家が繁栄するイメージ。
そこに吉祥の鳥や椿をあしらっている。

ヒノキの1枚板を両面から透かし彫りにしているんだそうです。
金の張り壁が鮮やかな謁見の間
天井は格式高い折上格天井(おりあげごうてんじょう)

吉竹「ちょっと下の方を見ていただくと、障子の腰板にいろんな絵があります。
たんぽぽとワラビ、ここかわいいんですよ。野の草花が描かれておりまして
多江「とっても素朴で見落としてしまいそうな。
日常の中のあったかい気持ちになるような花たちですね。

御殿内の障子の腰板には他にも様々な絵が
鮎(あゆ)、蝶と藤
冬の間外に出られない母を気遣って室内を楽しく演出したのでは、と吉竹さん
城主の思いやりが感じられる装飾です。

松の間(まつのま)
吉竹「これは多分プライベートルーム
非常にリラックスできる空間なんじゃないかなと思います。
多江「本を読まれたりとか
吉竹「小さいお部屋だけど、いろいろ工夫してまして、ここにオランダ渡りの小鳥のガラスが入っているんです。
多江「これはオランダのガラスなんですか?
吉竹「そうなんです。
多江「この絵自体も?
吉竹「それを輸入して手に入ったものをここにセットしたんだろう。
多江「色味がまたちょっと西洋風ですね。
吉竹「おそらくお母様は公家の出なので、非常に教養が豊か。
日本の事はとってもよくわかってらっしゃる。
だから少々のことではお殿様がいろいろ作ってもみんなわかっている。
「知ってるわよ」と言われそうなんですけども、そのお母様を驚かせるには南蛮のものとか変わった顔料とかを使って
そうするとお母様が「まぁ」といって喜んでくれるということがあったのではないかと。

最後に御殿の2階にある珍しい部屋に案内していただきました。

吉竹「これが群青の間(ぐんじょうのま)っていって青なんです。
多江「すごい!モダン!
吉竹「お客様のご接待用の部屋だと思うんですよ。
ですから、下で用事が終わった客人を2階に招いてこちらで一服される。
だから客人を驚かして喜ばせようというのが最初の狙い
多江「急に異空間へ来たような。見たことないです。こんな天井

天井の折上部分と目地が鮮やかな青
ウルトラマリンブルーという顔料をヨーロッパから輸入して使いました。
柾目(まさめ)の杉板を目違いに貼った天井も手が込んでいます。
群青の間に続くのは群青書見の間(ぐんじょうしょけんのま)
こちらは壁が紫
そして天井は先ほどよりわずかに薄い青になっています。
高貴な主にふさわしい極上の空間でありながら、温かい心地の良さも感じます。

多江「お城を建てて、天守閣を敵が来るっていうことを想定した天守閣があって、
そういう風に考えると、ここはなんかそことは違う。もっと平和な場所というか、
戦いの時代を生きてきて、平和をいとおしんで慈しんで出来上がったのかなあなんてふうに思って見てましたね。
城の持つ新たな一面を発見した金沢の旅でした。

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美の壺 三、庭園:技が伝える権威の空間

みっつめのツボは 庭園:技が伝える権威の空間

原史彦さん / 名古屋城調査研究センター / 名古屋城 二の丸庭園【愛知県 名古屋市】

愛知県名古屋市 名古屋城(なごやじょう)
名古屋城調査研究センター 主査 原史彦(はら ふみひこ) さん
金沢の兼六園(けんろくえん)や岡山後楽園(おかやまこうらくえん)など城を訪れるとその近くに広大な庭園を見かけることがあります。
城郭庭園(ほうかくていえん)とも呼ばれるこれらの庭は城の主の美意識が色濃く反映されています。

尾張藩(おわりはん)代々の居城、名古屋城(なごやじょう)
藩主たちが普段暮らした二の丸には江戸時代、広さ3万㎡にも及ぶ華麗な庭園がありました。

「中御座之間北御庭惣絵(なかござのまきたおにわそうえ)」名古屋市蓬左文庫所蔵
これは初代藩主、徳川義直(とくがわ よしなお)が整備した頃の庭を描いたもの。
庭の最も目立つ場所に御祠堂(おしどう)と儒教の経典を収めた書庫が見えます。
義直が大事にしていた儒教の教えをもとに庭が作られていたことが見て取れます。

「御城御庭絵図(おしろおにわえず)」名古屋市蓬左文庫所蔵
一方、こちらは江戸時代後期10代藩主・徳川斉朝(とくがわ なりとも)が大改造を施した庭
花や木が多数植えられ変化に富む地形、
人をもてなす庭となりました。

しかし明治時代になると名古屋城に陸軍が駐屯
庭の1部を取り払ってしまいました。
現在名古屋城では二之丸庭園(にのまるていえん)をかつての姿に美しく蘇らせるため、整備と発掘調査を行っています。

例えばこちら北御庭池泉(きたおにわちせん)
大きく茂っていた木や草を取り除くと、池の周りに立派な石組が見えてきました。

原「豪快に組まれた石組、地割に関しては、義直の時代の庭園の痕跡が残っているといわれ、
特に中心の権現山(ごんげんやま)、滝石組(たきいしぐみ)、これは初代の頃の痕跡ではなかろうかといわれています

石橋(しゃっきょう)の間から流れ落ちるように構成された枯滝石組(かれたきいしぐみ)
水の流れの激しさを表しています。
池ではかなりの深さのタタキを持った護岸も見つかりました。
水を漏らさない作りになっていたのです。

原「1つだけ謎があるんです。
ここにもし水があったとしても、どこから水を引っ張ってきたか
引っ張ってきた水をどこへ出したのか、これが全く見つかっていないのです。
そうすると人力で水を入れたかというふうにも考えられます。
これは今後の検証になると思います。

発掘調査で少しずつわかってきた庭園の姿。
しかし、なぜこれほどの手間をかけて城の中に庭を作ろうとしたのでしょうか?

原「それは自然を再現するというよりも、庭を作ること自体が1つの技術でありその技術が当時中央政権である京都周辺にしかなかった。
ですから、そこの京都の技術を自分たちはちゃんと受け継いでそれを再現していることを見せる1つの政治的な装置ではなかったか
もしかしたら庭を作る中央政権と自分たちは密接につながっている。それを自分が支配する領民たち、配下の武将たちに見せつけて、自分の権威を高める
そういうことに庭を使った可能性はあると思います。
それはむしろ戦国時代。
その流れの中で江戸時代は庭が作られていくという流れになっているのではないかとは私は思います。

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野村勘治さん / 作庭家・庭園研究家 / 彦根城 玄宮園【滋賀県 彦根市】

滋賀県彦根市 彦根城(ひこねじょう)玄宮園(げんきゅうえん)
作庭家・庭園研究家・有限会社野村庭園研究所代表 野村勘治(のむら かんじ)さん 
滋賀県彦根市に建つ国宝・彦根城(ひこねじょう)
徳川の重鎮、井伊家(いいけ)の居城です。
小ぶりながらも華麗な天守が小高い山の上に立っています。
城の東側に広がるのが玄宮園(げんきゅうえん)
江戸時代前期に作られた庭園です。
実はここ彦根城をより華麗に見せるための舞台装置でした。
どのような演出が施されているのでしょうか?

作庭家で庭園研究家の野村勘治(のむら かんじ)さんです。

野村「今歩いておりますのは馬場歩いているが、ここが入り口の通路
右手に見えてくる池の向こうの橋は橋台の部分が切石(きりいし)で非常にしっかりと築かれています。
このいわゆる景色っていうのはあえて見せるようで見せない。これから庭を見るという期待感を高める演出っていうふうに考えて良いかと思います。

確かに橋があるため向こうが見えません。
見えないから先に進みたくなります。
玄宮園(は池の周りを順路に沿って楽しむ。池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)です。

野村「ちょうどここから見ますと、橋の下に鋭く石が立っている。あれが鶴の首を象徴している。
あれをクローズアップで見せるように印象的に1番の見所の部分をまず見せる。
いよいよ期待感が高まっていくわけですね。

庭への期待感がさらに高まったところで、次のポイントへ
やってきたのは橋の真ん中

野村「ここがある意味では園路の中で1番高いところ、
橋は渡るだけではなく、ここが景色を眺めるビューポイントでもあるって事は忘れてはならないと思います。

橋の下からは鶴の首の石が見えていましたが、ここで全体が見えました。

野村「明るい広がりのある空間からちょっと狭い山道の世界に入っていく。
暗がりの中に入っていって、映画の場面転換の世界が山道で表現されています。
なおかつ山道になって足元がちょっとおぼつかない。そうすると人は目線が下に落ちる
それを越えた先に一気に場面転換となります。

暗がりから出ると明るい水辺が広がります。
その先には数寄屋建築(すきやけんちく)
石組をメインで楽しむ庭から建築と水辺の一体感を楽しむ庭へ。
左奥には天守が少しだけ顔を覗かせています。
さらに進むと、数寄屋の上に彦根城の天守が、今度はしっかりと見えます。
ここが天守が1番美しく見えるポイントだといいます。

野村「下には横に広がる建築群いわゆる数寄屋があり、その上には城郭がせり上がってある。
非常に鄙びた世界と、神々しく白壁の城の世界が同居する対比的な見せ方をしています。
ちょっと小ぶりな天守閣を立派に見せるための庭ていうふうに言えるかもしれませんね。

城と庭園
互いが引き立てあってより魅力あふれる空間を作り出していました。

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美の壺 四、障壁画:よみがえる古(いにしえ)の至宝

最後のツボは 障壁画:よみがえる古(いにしえ)の至宝

朝日美砂子さん / 名古屋城調査研究センター / 名古屋城 本丸御殿【愛知県 名古屋市】

愛知県名古屋市 名古屋城(なごやじょう)本丸御殿(ほんまるごてん)
名古屋城調査研究センター学芸員 朝日美砂子(あさひ みさこ)さん
城には軍事的な天守や櫓(やぐら)などとともに、政務や生活の場、御殿(ごてん)が設けられています。
名古屋城内にある本丸御殿(ほんまるごてん)
400年前の姿を9年半の歳月をかけ、2018年に復元しました。
ここは徳川家康の九男、初代尾張藩主・徳川義直(とくがわ よしなお)が政務を行った建物。
かつてその内部は当時最高の絵師集団・狩野派(かのうは)が描いた絵で飾られていました。

朝日「今の私たちの住宅は普通1軒は1棟だけなんですけども、昔の御殿は複合的な棟からなっている。
様々な棟がそれぞれ固有の役割を持っていて、例えば藩主やお付きの家臣は儀礼や行事によってその棟を往復しているんです。
そしてその棟にはいろいろな役割があるので、当然中の襖(ふすま)や障壁画(しょうへきが)も役割によって違う画材違う技法によって描かれているということになります。

玄関を飾る絵から見ていきましょう。
御殿を訪れた人は、まず玄関にある広間に通されます。
周囲には勇猛な虎や豹(ひょう)の絵が描かれています。

朝日「まず御殿の入り口は「走獣(そうじゅう)」、走る獣の画題が選ばれることが一般的。
とすると虎やヒ豹や獅子、そういったものが描かれる。
それと同時に日本にはいない高貴な異国の動物、
そういった強く恐ろしく、しかも貴重な動物を入り口に描くことによって
入ってきた客を威嚇するあるいは中に住む貴人を守るそういう役割が玄関棟には与えられているということです。

玄関から廊下を西に進むと現れるのが表書院(おもてしょいん)
ここには桜や雉(きじ)などが描かれています。
藩主と家臣らが公式に対面する場所だった表書院
上段之間(じょうだんのま)は藩主が座る場所です。
背後には巨大な松
主の威厳を高めるかのようです。
玄関とは一変、優雅な雰囲気が漂っています。

そして、最も贅を尽くされているのが、名古屋城だけの特別な棟、上洛殿(じょうらくえん)
3代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)の宿泊のために作られた建物です。
彼の座る上段之間を始め、周囲には帝鑑図(ていかんず)と呼ばれる絵が描かれています。

朝日「もともと中国でよく描かれていた画題で、日本でも御殿で描くようになった。
皇帝の鑑となる画題なので、為政者の模範となるような画題ということで、御殿の障壁画として好まれていました。
将軍の御座所(ござしょ)ということで格を反映し、中国風の水墨画で描かれた帝鑑図。中国の歴代帝王の説話が元になっています。

朝日「城の御殿は住むだけではなくて、他者に見せる目的が非常に大きかったのではないかと思います。
自分の力、権力・知識、そういったものを誇示する目的があって、あのような絵が描かれたのだと思います。

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北尾かおりさん / 川面美術研究所 / 二条城 二の丸御殿【滋賀県 彦根市】

京都市中京区 二条城(にじょうじょう)二の丸御殿(にのまるごてん)
川面美術研究所(かわもびじゅつけんきゅうしょ) 絵画制作主任 北尾かおり(きたお かおり)さん
京都、世界文化遺産・二条城(にじょうじょう)
二の丸御殿は1603年群が上洛した際の住まいとして造営されました。
今も当時の姿をとどめています。
御殿を飾った障壁画(しょうへきが)は今、二条城障壁画展示収蔵館(にじょうじょうしょうへきがてんじしゅうぞうかん)に保管されています。

こちらは朝廷からの使者を迎える部屋、
勅使の間(ちょくしのま)を飾っていた絵の数々
狩野派の絵師によって描かれました。
植物を中心とした穏やかな風景は、公家向への趣
しかし400年の時を経た絵は、紙の劣化、絵の具の剥落など多くの問題を抱えていました。
そこで始まったのが御殿の絵を模写を作成し、オリジナルとはめ替えていくプロジェクト
1972年に立上がって50年余り。
現在も日本画を学んだ絵画制作者が携わっています。

北尾かおり(きたお かおり)さん。このプロジェクトに参加して30年のベテランです。
今模写しているのは、二の丸御殿の遠侍 一の間(とおざむらい いちのま)を飾っていた絵

北尾「半透明なプラスチックに重要な墨の輪郭線を取るっていう。
1番最初の記録としてとっていくもので、その時に重要なのは、その線の起筆終筆、最初の入り方と最後に払っているのか止まっているのかを繊細に写し込んでいくっていう重要な作業になりますね。

高精細なデジタル複写の技術が発達した今も人の手による作業を大事にしています。

北尾「やっぱり400年前のものなので、修理も何回か重ねられておりまして、その都度補修もされてその上から補彩しているのでなかなか難しく、大変な作業なんですけど、
そこを細かく見ていくためにも1本1本の線を丁寧に拾っていくっていうところですね。
レプリカとも言いたくなくて、模写って、やっぱりそういう日本語の独特な言い回しですけども、模写という形で伝承していきたいっていうところがあるんですね。
そういうところに写真じゃない、筆の1本1本とかを勉強して、400年前と同じ技術を今現在この模写室でやっている。
それをそういう形でいろんな技法がこの中には踏襲されていると思いますので、それを受け継いでいってもらいたいっていうところがある。

1,000を超える二の丸御殿の障壁画
そのうち模写が終わったのはおよそ8割
今、二の丸御殿の中を飾っています。
こちらは勅使の間(ちょくしのま)
描かれた当時の輝きを今に伝える復元模写
御殿を訪れる私たちの目を楽しませてくれます。
城の主たちに愛された美の数々。時代を超えて人々を魅了し続けています。

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エピローグ

U-NEXT でNHKの動画配信サービス NHKオンデマンド を視聴可能。らんまんなつぞら などの朝ドラや 光る君へ鎌倉殿の13人真田丸 などの大河ドラマ、探偵ロマンス正直不動産 などの名作ドラマ、ファミリーヒストリー「草刈正雄」を一気見できます。U-NEXTは初回31日間無料トライアル。NHKオンデマンド は別料金ですが、もらえる600ポイントで購入できます。PR

音楽 BGM

ジャズの名曲が流れる美の壺。番組BGMファンもいらっしゃるのではないでしょうか。
オープニング曲と番組内挿入曲をまとめましたので参考にどうぞ。リンク先で試聴できます。

オープニングテーマ

オープニングテーマArt Blakey And The Messengers(アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ)の名曲「Moanin’」。ジャズドラマー アート・ブレイキーが1958年に発表した同名のアルバムに収録されています。作曲はピアニストの Bobby Timmons(ボビー・ティモンズ)。

番組内 楽曲

美の壺 2024年(2024年1月〜2024年12月)放送スケジュール 初回放送・再放送 全まとめ はこちらをどうぞ!

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